つなぎの学校プロジェクト①

[つなぎの学校プロジェクト 開始!]

とてもささやかではありますが
「つなぎの学校」プロジェクト 
始めました

メンバーは 韓国の修学旅行でおなじみの
「カナちゃん」そして 
「スグル君(仮名)」
そして わたし中村との三人でのプロジェクト

まず 今日は なぜこの「つなぎの学校」プロジェクトを始めたいと思ったか 二人に語りました

まずは 中村がどのような
「学校人生」を送ってきたか

私は 幼稚園に行くのが 嫌で
家の庭で 一人で遊ぶのが好きな子どもでした
身体も小さくて 並ぶと一番前
ぼーっと 眠っているような子どもでした

学校の勉強の記憶はほとんど なく

当時は 体罰が日常茶飯事で
当時の先生の中には 忘れ物をしたり
失敗すると すぐに殴ったり 

たたいたりする先生もいて
学校に行くのが 恐怖でした
今日は何で 怒られるか
びくびくして 過ごしていました

勉強はというと 私は 塾など 
習い事をさせられていたので
勉強はまあまあ できたほうだったと思います

でも 中学に入って 
最初の中間テストが点数が悪くて(特に社会)
なぜだろう と あたりを見回すと

「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」とか
「暗記」して 覚えている友達の姿が
目に入りました

そうなんだ! 

「覚えないと 点数は取れないんだ!」 
そんな気付き(?)が あって
あとは ゲームのように
点取り競争のようにして
受験を迎えました

志望校にも入れたけれど

当時は 男子は丸刈りにすることが
決まりだったり 学校も荒れていて

授業の場面は なにも覚えていません
記憶がまったくない


高校は自由な雰囲気だったので
初めて 先生たちの個性が感じられました
古文を調べたり
福祉の分野に興味を
持ち始めたのもこのころでした


…そんな話を カナちゃんとすぐる君に
共有しました

二人と私の年の差は
40歳ほども離れていますが
「学校」の認識を ともに
 感じたいと思ったからでした


40年たって 学校は変わったと思う?と
二人に聞きました


ひどい体罰はなくなったけど
丸刈りもなくなったけど

「そんなに変わっていない」と。

なぜ変わっていないのか

私が知っている「学校」という情報

日本の学校が
どのように 学習内容が決められ
運営されているのか
二人に伝えました

そして
海外の学校との比較をしてみました

「ホームスクーリング」の話
オルタナティブな
いろんな学校がある話

いま カナちゃん スグル君のように
不登校の子どもたちが
全国で16万人いることに
二人は驚いていました

最後に 二人に どのように学習したいか

どうしたら楽しく勉強ができるか
聞いてみました
二人の答えは

「自分で学ぶことは
自分で決めたい」
でした

誰かに 一方的に押し付けられるのではなく
自分で 決めたいと

言葉は少ないけれど
彼らの成長を
感じることができました

できることなら 暗記ではなく
もっと 楽しく ワクワク
好奇心を 高まらせて学びたい

私の中の 中学生だった自分自身が
もう一度学びたいと望んでいるのを

ずっと感じていました

みずみずしい感性があったあのころ

私は何を学びたかったのだろう?


中学生にもどったつもりで
カナちゃん スグル君と 少しずつ
一緒に学びたいと思っています


三人と つなぎのみんなの力も借りながら
探究していこうと思います