なかむらのへや:広島修学旅行ノ巻

つなぎの修学旅行の引率で

広島に十数年ぶりに来た。

今回は広島駅周辺も

すっかり町並みが変わっていた。

大きなビルがそびえ立ち

広島城から見える景色も

昔はもっと遠くまで

見えた気がするのだけど

ビルに閉ざされてしまった気がする。

そして、なんと言っても

外国人の数が本当に多い。

宮島も半数以上が外国人。

タクシーの運転手さんが

もう広島は日本ではない」と。

一番、平和について学べるはずの

平和記念資料館は

入り口から、もう人のラッシュ

身動きが取れないほどだった。

展示物に近くに

寄ろうと思っても

なかなか寄れない

昔は、案内の方が入り口にいて 

すぐにガイドを

頼むこともできたのだけど

そうした事情もあって

今はやっていないのだそう。

2年前のG7広島サミットが終わってから

外国人が増えてきたとのこと。

原爆ドームや平和記念資料館が

観光地化されてしまうことに

残念な思いがある。

でも、そのような中でも

良かったと思うのは 

比治山神社での宮司さんのお話。

たまたま比治山神社の御朱印が

可愛らしい図柄

それが気になって

見学場所のひとつに

比治山神社を選んだ。

ダメ元でお話が聞けないか聞いたら

快く引き受けて下さって

そうした戦争の話

社殿の歴史等などを教えてくださった。

宮司さんはもう78歳

戦後の生まれ

宮司をしていたお父さんが召集されて

ハワイ近辺で終戦を迎えた。

隊長の立場にあり

命令する側で 

食べるものがなくて 

やむなく釣りで食料を得ようとしたが

釣った魚がフグの種類で

部下たちはそれを食べて

死んでしまう者も多かったと。

戦後ガリガリになって

痩せて帰ってきて 

本人はもう自分は

森にでも入って

木こりにでもなろうかと

思っていたと。

しかし広島が焼け野原の状態で 

焼け残った石の鳥居の前で

社殿はもうないのに 

そこで手を合わせて

拝む人たちが後を絶たず

それで再度、宮司として

生きることを決めて 

7年という短い歳月で

社殿を建て直したのだそうである。

亡くなったお父さんの

意思を継いで

今の宮司さんは

奥さんとともに

社を守っていらっしゃる。

父が亡くなっていたら

自分はこの世に

生まれてはいなかったと。

お礼を言って立ち去るとき

残った焦げた狛犬や

門が違うものに見えてくる。

映像や記録も貴重だけれど 

肌に感じるリアルな

戦争・原爆の話

戦争のことと 

3.11のことも

私には重なって感じられた。

震災後に生まれた

子どもたちには記憶がない。

震災14年たって 

震災のことも

どんどん風化していく。

戦後80年。

戦争体験者がもう

平均年齢85歳。

人から人への

体温で感じるものがある。

頭ではない

身体で学べるもの。

語り継いでいくこと。

今ある命を大切にすること。

命を大切にできる

社会を作っていくこと。

みんなで考えること

広島の修学旅行は 

ささやかなつなぎの

取り組みのひとつにしか過ぎない。

言葉にまだならないものが大きすぎて 

また日にちが経つと、変わっていくだろう。

そして、子どもたちの感じたことも

また整理されて

また子どもたちから

学ぶことも多くあるだろう。

私を含め

参加した10人の子どもたちが

ケガなく無事に

旅を終えられることが

まずは有難い。

広島を訪問すると言うことで

広島や、界隈に住んでいる友人たち

恩人がわざわざ

会いに来てくれたことにも

本当に感謝。

会えて本当に良かった。

送り出してくれた

子どもたちの家族 

留守中、つなぎ

つなぎ工房を守ってくれた

スタッフのみんなにも感謝。

多くの方に見守られて 

もうすぐ旅は終わります。

気仙沼に着くのは夕方。

明日1日休んで 

明後日は連さんの講演会。

またお会いできる皆さんの

広島のことを語り伝える

機会がありますように。



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